無味異臭の不潔な肉付け(少し強めの重力)

レンタルDVD屋や動画配信サービスで何を観ればいいか分からない、見たいものが分からない。

食べたいものが何か分からなくなる。全部これじゃないような気がしてくる。

薬局でしっくりくる入浴剤が見つからない。癒しを求めて買いに来たのにぼんやり思い描いていたようなものがない。多分あまり差は無いだろうに選べない。余計に疲れる。

誰からも干渉されない時間と本ゆっくり読める環境を求めてカフェを探しても時間と距離の制約はある。なかなかにいい所が見つからない。

何かを期待して街に出たけれど何も無い。何も起きないし欲しいものがあるわけではない。

結局どうしていいかわからない。
毎回毎回、動画配信等のコンテンツにしろ、買い物や食事にしろ、外出にしろ、そこにアクセスすれば自分の求める何かがあるだろうという期待だけでゾンビみたいに動いていたんだなと認識してしまっては嫌な気持ちになっている。

結局何もできず時間を無駄にしてしまったと感じることもある。
ぼんやり妥協して金を使い、時間も金も無駄にしたのではないかと落ち込むこともある。少額であったとしても、そんなに長い時間でなかったとしても、そう思ってしまうと途端に重荷になる。

何かとやらない理由を見つけやすい今のこの時勢で、結局何もしなかった、できなかった方に身を置くのも、やったところで虚無感やこれじゃないという感じを覚えるのは、そうじゃないのかもしれないけど何かとやらない理由を見つけている側に引っ張られているような気がしてならない。

ある程度目当てがある場合は多少余計な金や時間がかかってしまったとしても、それらも含めて目当てである事物の価値として受け入れられる。でも、単に何かを期待しているだけだと真逆の評価になる。
そんな日は一日中あるいは一晩中「今日は生きるのが下手だった」と思い続けることになる。

毎回のように感じる何も無い状況にも、同じこと繰り返しているし自分にも、ちょっとした絶望のようなものを覚える。

そんなの皆も同じだと言われるかもしれないし、実際そうなのかもしれない。だけど、この状況を静観して直視した時に結構落胆した。ひしひしと絶望感を味わった。

俺はこんなことをもう10年以上も続けている。

退屈といえば退屈という範囲のものだろうけど、単につまらないわけではない。これは退屈というより、正体不明の焦燥感とか不安という骨格があって、退屈とか虚無感とか不機嫌で不潔に肉付けされている。

多分この状態になっている時の俺は俺の形を保ちつつも異臭のような雰囲気を放ちながら歪なものになっているような気がする。

この先もこれが続くのかと思うと諦めのような気持ちが湧いてくる。強い悲しみや頭を掻きむしるような苛立ちは無くて、味気なさとか息苦しさが支配的になる。

とても疲れてるのに、ひとり歩いて遠くの家まで帰らなければいけないような感覚が、日常の中の極めて短い時分の中に一瞬入り込んで来たり、気がついたらそんな感覚になって何時間も経っていたりする。

痣になった打撲をまたぶつけて鈍痛を長引かせているような生活。
半ば不可抗力で進まない仕事が山積みになっている時と同じ重力を感じている。

これを消化するにはどうすればいい。